2008年09月03日

見えない仕事

「目に見えない仕事の方が大事」
っていう以前、取材したシェフの方の言葉を時々思い出します。

「そうだよな~」と納得するほど、私は目に見えない仕事を大事にしていません。むしろ、「へ?」「ふーん、そうなんだ」くらいの反応だったのですが、ちょっと気になる言葉で心に残っています。

その人はシェフなので、料理の話からその話になったのですが、普通に食べておいしいってことには、普通に手間暇かかってますというような話でした。何かがおいしいと感じるときは、その野菜が素晴らしいんじゃなくて、それに適量の塩やコショウをきっちりと振るとか、目に見えない仕事をしているからなんだって。

そりゃそうだろと思われる方も多いでしょうが、私には、ちょっとした視点の転換がありました。

今までトマトだったら、トマトそのものを。トマトらしさを生かしててこれでいいんだわ、とか思っていました。

トマトに見えてりゃいいというか、
おいしそうに見えてればいいみたいな。

それからというもの、塩コショウはきっちりしっかりしています。
そうすると、余計に素材も美味しいんですね。
昔から、ヨーロッパが戦争するだけのことはあるなぁ、コショウといちいち納得しています。

しかし、目に見えない仕事の大切さ、仕事に置き換えてまだ腑に落ちていない気がします。これから探究していきます。  

Posted by おれふ at 07:36Comments(4)TrackBack(0)創り手になる

2008年08月31日

忘れていること。

「時間を味方につける」で、izumが、「忘れていられるというのは大事な能力」というようなコメントを書いてくれて、
改めてそうだよなと納得しています。

以前に、izumが、創作活動に打ち込でいるSさんから、よく作品についての意見を求められるとの話を思い出しました。

izumが出かけていて、Sさんが誰にも意見を求めずに、1人で創作していることもあるそうですが、
そういうときは帰ってみたら、作品がいまいちな出来になっていることがあるという話です。

1人で入りこんでいると、別の視点で見ることができないので、ついついそんなことが起こるのではないのでしょうか。それに近い体験をよくしています。
第三者の意見、視点はものすごく大切だなと。

それを1人でやるには、意図的に別のことに集中して、その作品を忘れていられるということが大切だと思います。

同じものと見続けていると、目が近眼になってしまうのと同じでしょうか。

遠くのものを見て、近くのものも見る。
大きいものを見て、小さいものも見る。

いいものを作るには、近眼にならないことが大事なのかもしれません。


更谷兼太郎展、明日から始まります。

人は壁に人を描く
壁は生きている 感情のうねり さざなみ 喜びと哀しみ
様々な境遇の人々をフレスコ画で制作

http://homepage2.nifty.com/gallery-natsuka/natsuka/2008/saratani_kentaro08.html

【場所】 ギャラリーなつか
【日程】 2008年9月1日(月)~6日(土)
【時刻と特記事項】 時間:11:30~18:30 ※最終日は17:30まで
【チケット料金】 無料
【お問い合わせ先】 ギャラリーなつか
TEL 03-3571-0130
E-MAIL gnatsuka@mbr.nifty.com
  

Posted by おれふ at 11:12Comments(2)TrackBack(0)創り手になる

2008年08月26日

態度を決める

最近、文章を書くということは、自分の態度を決める作業だという感じがしてきました。
一語一語を選ぶたびに、あいまいさがそぎ落とされていきます。
それがときどき苦しい。

まだ態度を決めたくない、あいまいでいたいときもあるのです  

Posted by おれふ at 07:07Comments(2)TrackBack(0)創り手になる

2008年07月15日

理系男と文系女の共通言語

昨日「ものの見方による」に書いて、
みんなのコメントを読んで、
昨日とある本を読んで、

思い出したことがありましたので、
今日はそのエピソードを書きたいと思います。


会社員時代、仕事仲間の中にどうにも意思疎通ができないシステム担当の男性がいました。
二人とも同じ日本語を使っていて、言葉の意味はわかるのに、
さっぱり話している内容がわからないのです。

システム構築の方向性を詰めていかなければならないときでしたから、
話し合いは難航しました。

ネットのあちら側とこちら側。
ブラウザの国境を隔てて、両者がにらみ合っていました。

相手は私のことをシステムのことも何にも分かっていないと馬鹿にしていて、
私も相手のことを、だから専門家って使えないんだよな~と思っていました。

でも、彼は本当に優秀な人でしたから、どうにか力になって欲しかったのです。

あるとき、彼と徹底的に話しました。

そして、
私はシステムの勉強をすることを、
彼は私を含めて周囲の人に理解してもらうことをあきらめないことを、
約束しました。

私は薦められた本を読んで行くうちに、
ある時点を境に、彼の話がわかるようになってきたのです!

あれは今でも忘れられない本当に感動的な瞬間でした。


英語や中国語といった言語を学ぶのと同じように、
何かを学ぶということは、相手との共通言語を作り出すんだなぁと実感しました。

それまでは、システムなんて私の学ぶべきことではないって決めていて、
国境間に緩衝地帯(要は単なる無責任地帯)ができていたんだと思います。  

Posted by おれふ at 08:59Comments(6)TrackBack(0)創り手になる

2008年07月14日

ものの見方による

izumの被害者=加害者を読んで、立場変わればそれも真なりと感じました。
その人の視点でその人の世界を通して物事を見てみたら、
それはそれで、全く正しいということがありえるってこともわかる気がします。

だから話しても話しても、分かりあえないと感じることがあるんだろうな。


さて、では自分の世界を通して物事を見ずに、
正しく対象を観察することができないものだろうかと考えてみました。

観察している自分が存在するからには、必ず自分の視点はあるし、難しいのかな…、
と思ったらふと気がつきました。

そうか、だから多観点化があるんだと。


雑誌で言うと、「anan」と「CREA」「FRAU」の違いのようなものです。
男性にはわかりづらい例えですみません。
最近は「anan」も今は様変わりしているのかもしれないので、関係者の方おられたらすみません。

要はワンテーママガジン。

「恋愛」「結婚」「経営」「リーダーシップ」「効率のよい投資」…。
テーマは何でもよいのですが、それを明らかにするために、
複数の視点や複数のアプローチ方法で、その対象を観察します。

ある人がインタビューでそれについて語る、専門家が語る、
複数の座談会でそれについて語る、
科学的な見地から見る、スピリチュアルな見地から見る、
主婦的な見地から見る、ビジネス的な見地から見る、医学的な見地から見る

結局、それは何だったんだ?という問いに対しては、
ひとつの答えは得られないかもしれません。
「こんな面もこんな面もある、そんなこのものです!」という答えになるのかも。

いつも何かを読んだときに、おおそうか!なんつって早合点する私ですが、
一つの観点がお気に入りになりすぎたせいで、
他の観点に立ちづらくなってしまうときがあります。

他の観点から見えないってことは、
その物を正しく観察しようとしたときには結構致命的です。

では、「一つの観点」という名札を付けて、次に進みましょう。  

Posted by おれふ at 09:53Comments(3)TrackBack(0)創り手になる

2008年07月13日

陳腐の意味を調べてみたら

陳腐という言葉を辞書で調べたら、

古くさいこと。ありふれていてつまらないこと。また、そのさま。

ですって。ありゃりゃ。

「ドラマは陳腐な方がいい」のではなくて、
「ドラマはリアルすぎない方がいい」くらいのつもりでした。

失礼しました。
思い込みと語感だけで、言葉を選んでました。

でも、八代先生の舟歌、「お酒はぬるめの方がいい~」に全然かぶらないのもつまらないなぁ。  

Posted by おれふ at 14:22Comments(2)TrackBack(0)創り手になる

2008年07月07日

ぼくらはみんな生きている

昨日は青柳くんの個展に行ってから、映画「ぐるりのこと」を見てきました。

偶然にも「絵」つながり。
映画はたまたま通りかかったから見ただけなのに、リンクしていました。

それにしても、絵はよいですね。

青柳くんは、人物を小さくとらえた季節感のある風景画を、
映画の中で
主人公の男性は、カメラが入ることができない裁判中の模様を伝える法廷画を、
主人公の女性は、植物をモチーフにした天井画を
描きます。

絵を描くということは、「見る」という作業に近いと思うのです。
見る、観察する、ということは、
それだけで、すでにその人独自のクリエイティブ性があると思うのです。

何を見るか、どこを見るか、どう見るか。

へんてこな絵も、理解不能な絵も、
ムンクやピカソには、対象がそう見えていたのではないかなと思えてきます。


ところで、映画の中で主人公の女性は、流産したことに心を痛めますが、
絵を描くことで「生」を取り戻します。


私が好きな本で、「7つのチャクラ」という本があります。
人間の体には7つの霊的な点があって、それをチャクラと呼び、
人の霊的な進化の道筋を表していると言われています。



そのうちの第2チャクラは、ちょうど女性で言うと子宮のあたり。
これは、お金や安全に生活が送れるかといったこと、またクリエイティブなことを司っています。

「芸術は金にならない」と言った考えを生みやすくなるのは、
同じ部位が、クリエイティブなこととお金の両方を司っているからなのでしょうか。

「男性であっても、女性であっても、自分のクリエイティブ性を殺すことは気の中絶」
なんだと書かれていました。


映画の中では、人や植物の「生」が描かれていきます。
みんなみんな生きているのですね。

まとまりがなくなりました。今、フロート状態です。  

Posted by おれふ at 10:46Comments(4)TrackBack(0)創り手になる

2008年06月05日

国宝薬師寺展の仏さんとせんとくん

東京国立博物館でやっている会期終了間近の「平城遷都1300年記念国宝薬師寺展」を見てきました!

日曜日の午後という時間帯に行く私も悪かったですが、入場制限で80分待ち!それも博物館前の炎天下で、おばさまもおじさまもカップルもみんな大人しく並んでいる。みんな仏さん見たいのね。でも、腰が痛くて、リタイヤ寸前のおじいちゃんもいたりと、仏さんまでの道のりは長い。

そもそも薬師寺展を知ったのは、情熱大陸でこの薬師寺展の照明を担当した展示デザイナーの木下史青(きのした しせい)さんが取り上げられていたから。その準備の様子を見て、軽いショックを受けたのです。

今回上京されたのは、薬師寺金堂の薬師三尊像のうち、左右に位置している月光菩薩立像と日光菩薩立像。

これら仏さんに対するみんなの愛情がすごかった!

お坊さんたちが愛情込めて、これ以上磨けないというほどぴかぴかに磨いて、慎重に慎重に運び出されていて、それを預かった木下さんも仏さんが最も輝いて見える光の調整に、神経を尖らせて丸一日以上を費やしていました。

これぞまさに「神聖化」ではないですか?「神聖化」のリレーです。


光の角度によって、表情が違って見えるというのは、無表情な能面だとより分かりやすい。能楽者は、無表情な能面をつけて、顔を少し上に向けたり下に向けたりすることで、光のあて方を変え、笑ったり怒ったりという表情を能面に創るのだそう。


その、両菩薩像。


やすらかさや安心感、肌の滑らかさ、ふくよかさ、圧倒的な存在感、&%$#!…。

それでも敢えて翻訳すると、私は「今まさにここにいる」感がありました。仏さんがでなく、私の体がです。体はここにあっても、心ここにあらず、みたいな状況ってありますよね。それの逆で、これを前にすると、「私はまさにここにいる」という感じになる。


ちなみに、何かと話題の「せんとくん」は、この平城遷都1300年記念のキャラクターなのですが、この出来やセンスについては賛否両論あるようです。Izumのブログで知ったのですが、薮内さんという著名なデザイナーの方の作品だそう。この議論はデザインの専門家に任せておくとして。

ポスターや絵に、鬚やメガネを書き込んで楽しむ…。

このキャラは落書きではないですが、こうまでしてみんなの手で神聖化されてきた仏さんの歴史とそれが、どうしても違和感を感じさせてしまうのではないでしょうか?  

Posted by おれふ at 17:07Comments(1)TrackBack(0)創り手になる

2008年05月20日

いえし~個展の舞台裏速報!

先日、5月18日は私の友人でシルクスクリーンを手掛けるアーティスト、いえし~の個展初日。私も搬入や展示のお手伝いとして、個展の舞台裏に初めて参加させてもらいました。

会場は、古書の街神保町にある画材店、文房堂さん4階の広々とした開放感のあるギャラリー。このなんともレトロな建物は千代田区の都市景観賞を受賞したり、千代田区景観まちづくり重要物件に指定されているそう。

運び込まれた荷物から次々と、明るい色といろんな笑顔が表れてくる。心踊らす女の子から、ニヤリとほほ笑む宇宙飛行士、温かい目で見つめるおじさんたち、手放しに喜ぶオランウータン、ヤギ、トラ、サイ、シロクマ、気球、何でもとにかく笑う、笑う。笑いっていろんな種類があるのね。

作品といっても、紙に描かれたものはあまりなくて、クッションカバーやティーシャツ、かばんやタペストリーなど布地にプリントしてあるものが多い。だから私はまずアイロンをかける係に。帆布から透けるようなナイロンの生地まで。温度やスチームの具合に細心の注意を払う。

その間も展示は進められていく。どんなにイメージを作ってきても、その場に置いてみないと、どうはまるかこればっかりはやってみないとわからない。「ねぇねぇこんな感じ?」と示された空間が、アーティストいえし~の感性にピタッとはまるたびに「い~ね~!い~よ~!」の雄叫びがあがる。みんなそれに安心しながら、一つ一つに定位置を与えていく。

そうやって完成したその空間は、お客さんをおもてなしするために工夫を凝らした自分の部屋のような愛着が湧いているから、私ってば調子がいい。私はただ並べただけだけどね。でも、笑顔のそれぞれに人間味(動物味?)があって、おじさんだって野獣だって、みんなそのものであることがかわいいって思ってしまう。




あと、私は日用品になっていることがいいと思っている。鑑賞を目的にしたものは身構えてしまうけど、日用品ならそうはならない。どうせ身近にあって使うものなんだったら、楽しい方がいいに決まってる。目にする機会も多いし、そのたびに「うふふ」となるのはやっぱり幸せだと思うから。笑顔の連鎖始まってるみたい、ね。




入るとまず迎えてくれる3人のおじさんたちと、3人の虎の子供


家島由紀子(いえしまゆきこ)
埼玉出身。女子美術短期大学卒業後、本の装丁に興味を持ち出版社に就職。その後食品メーカーのデザイン部に所属し、パッケージデザインを手掛ける。2006年12月に退職し、現在はフリーで活動中。

Making chain of smile!
2008年5月18日(日)~5月24日(土)
10時~18時半(最終日は17時まで)
場所:文房堂ギャラリー(千代田区神田神保町1-21-1文房堂ビル4F)
地図はこちら
会場直通:03-5282-7941  

Posted by おれふ at 11:59Comments(2)TrackBack(0)創り手になる

2008年05月12日

展覧会の舞台裏にワクワク。

先日、とんねるずの木梨ノリタケさんの画家として活躍を描いたドキュメンタリー番組に魅了されました。今、京都で開催している彼の個展の準備の模様を伝えていました。

彼の絵は初めて見たのですが、色が鮮やかで、とにかくごっ機嫌。子供が遊んでいる感じです。さらに個展準備中に、絵を壁に貼り付けたあとにも、ぐりぐり大胆に壁に筆を入れていました。ワクワク感いっぱい、遊び心満載です。

「木梨憲武 色の世界展」は、5月18日まで。あ~あ、GWに関西に帰って見ておけばよかったなぁ。

ちなみに5月18日と言えば、私の友人が個展を開催する初日です。当日は私も朝から搬入をお手伝いできることになり、わくわくです!どうなることやら!

IESHIMA PRINTS 展 Making chain of smile !
会場  文房堂ギャラリー(東京都千代田区神田神保町)
期間  2008年5月18日(日)~5月24日(土)
時間  10:00~18:30(初日17:00~・最終日17:00まで)   

Posted by おれふ at 13:27Comments(0)TrackBack(0)創り手になる

2008年05月07日

創るべきか買うべきか…

いつもアーティスティックな私の友人izum。彼女が私にこんな作品を創ってプレゼントしてくれました。

めっちゃ可愛くないですか~?生地から選んでくれて、このボタンまで全部手作りです!!!しかも帽子って家で創れるもんなんだ!?ってオドロキでした。

彼女はいろんなもの、帽子やアルバム、ハガキなどのクラフトものが多いですが、「こんなの創れるんだ!?」っていつも思います。私にとっては初めてやるスキージャンプとかムーンサルトみたいなもんです。


ものが存在しているわけだから、誰かが創りだしているんだろうけど、何でも、おうちで創るものじゃなくて、買うものじゃないの?って思うようになってきている自分が怖いです。

たとえば、コロッケ、餃子とか(変な例ですいません)。

我が家は揚げ物をほとんど食べなかったので、実はコロッケは大人になって惣菜としての方がなじみがあります。あと、未だ様々な議論を呼んでるけれど、餃子も冷凍のものを買うか、餃子の王将買うか!ってなもんで、家で手作りなんて、小学生の記憶ですっかり止まってます。

そのうち、切ってある「薬味ねぎ」っていう植物が存在すると思っている子供が出てきたりして。


お料理教室に行ってからよく感じるのですが、「創る」ってことはすごいなぁと思うのです。馴染みのある食材や調味料の組み合わせ方次第で、すごく美味しい料理が出てくる過程を目撃するのはとても感動的です。


ということで、この日はその帽子をメインに、リボンの少し曇った水色と同色のポロシャツを合わせてみました。撮影はchiharu。国立新美術館前にて。  

Posted by おれふ at 00:56Comments(7)TrackBack(0)創り手になる

2008年04月24日

すっきり晴れやかな気分にさせる人

ある雑誌の編集長さんと元同僚とランチしました。

元同僚と一緒に、春の陽気のビジネス街を、談笑しながらやってきたそのお方は、Tシャツにジーパン、ブルゾンといった格好で、ホント無邪気な少年のようで、47歳とは全くもって信じられん。27歳の元同僚がタメ口聞いてるせいでもあると思うけど。

とにかく編集者としゃべりたい、
編集の事情が知りたい、
周りに編集者で溢れさせたい
っていう、自分勝手な意向で、セッティングをお願いしたのですが。

いろいろ話していただけて、すごい良かったです。新たな視点が生まれました。

彼は
軸のぶれない素敵な方でした。
何者でもなく、ただその人って感じでした。
楽しんでる感じでした。

その翌日、スポンサー主催で、彼が前座で1時間ほど話をするセミナーに呼んでいただけた。それは予想以上に立派な会で、500人ほどの読者と思しき関係者たちが聴衆。そんな人たちを前にしても、昨日とおんなじ服装で、昨日とおんなじ話し方。まったく何者でもなく、ただその人であるだけ。

話を聞いて、なるほど彼が今この雑誌でやろうとしていることと、彼の経歴とが符号して、前日の話を補完され、さらにすっきり晴れやかな気分に。

軸が通っていて、一貫している人って、思っていることとやっていることが同じで、周りの人を混乱させないだけでなく、すっきり晴れやかな気分にさせるのですね。  

Posted by おれふ at 12:24Comments(0)TrackBack(0)創り手になる

2008年01月30日

ウィザードコース行ってきました!

1月14日~26日までの間、フロリダのデイトナビーチで開催されたアバター(R)ウィザードコースに参加してきました。デイトナビーチというのは、ホテルの目の前が、ほんっとに目の前が大西洋という、最高のロケーション。日本では、これまで朝惰眠をむさぼっていた私も、ここでは5時にはしゃっきりと起きて、朝日を拝んだり、テキストを読んだりワークをしたりしていました。

おととしに引き続き、2度目の参加でしたが、2度目はさらに深まって本当によかったです。

年末に結婚式をして、1月に会社を辞めて、翌日からフロリダへ。
ちょうどよい区切りでした。人生の再出発の節目になりました。

自分の意識を探究しているうちに、いろいろと気づき、手離せました。
自分が引き起こしているのではないと思われるような出来事も、やっぱり自分が引き起こしていると思いました。

十分自分に奉仕してきました。
これからは人に流していく人生にします。


アバター・コース(R)とは、一人ひとりの人生そのものをメインテーマとする実践的で経験的なコースです。驚くほど簡単で効果的なメソッドにより、人生のパターンを理解でき、そしてあなたの望むものを実現できます。マイナスな感情や疑い、制限などを手放し、人生を一瞬一瞬楽しむことができる方法を学びます。詳しくはこちら。  

Posted by おれふ at 15:29Comments(0)TrackBack(0)創り手になる

2007年10月17日

外に出よう。人に会おう。

先週から、大学の学生団体の方たちと会う機会があり、明治大、早稲田大、青学大に行ってきました。やっぱ外に出な。そして人に会って、話をせなな。

外に出て、刺激を受けたり、人に会って話をすることによって、新しいことが生まれると感じました。

新聞やネットから情報を収集し、整理するのが得意な人っています。
傍から見ていてとてもうらやましい。私には苦手なことです。

私にはその文字や数字たちが、意味をなすようには思えず、重要な情報として全然入ってこないんで
すよね。

私はやっぱり人に会って直接話を聞く方がとても面白い。相手の話し方や複数の人たちの空気感を肌で感じる。それらも重要な情報だと思う。  

Posted by おれふ at 01:11Comments(2)TrackBack(1)創り手になる

2006年11月06日

紙とWEBの違い

WEBサイト構築について日々考える毎日です。どうしてこうも、上手く行かないのか?どうしてこうも、進まないのか?ということを感じていましたら、『WEB BRANDING 55Rules for Success ~WEBブランディング成功の法則55』という本にこんなことが書いていました。


すでにワークフローは存在している。


紙の制作物を創る場合も、営業担当、編集者、ライター、カメラマン、イラストレーター、印刷とたくさんの人の手を介して、やっと出来上がりますよね。これは私にとってもとてもなじみのある手順。そこにこんな手はずでやりましょう、なんていう打ち合わせは存在しません。でもワークフローは存在しているのです。暗黙の了解で。長年の経験で。

紙とWEBの制作で違うのは・・・

●WEBの世界が未成熟産業であること。

紙の制作と違って、WEBはたかだか10年。そこに仕事の手はずについて、暗黙の了解など存在するはずもなく、誰がどこまでやるのか?なんて紙のように体で覚えている人がいるはずもない。

●分業の歴史が浅いこと

一人の優秀な制作担当やPGが全てをやってしまうという時代から、システムは大規模化し、分業を余儀なくされています。仕事の進め方が明確でない上に、分け方も明確でない。

●共通言語がないこと

紙の場合は、曲がりなりにもクリエイティブなものに関わっている人達が集まっているわけだから、共通言語がありました。しかし、WEBサイトにおいては、文系と理系の発想が同じテーブルでコンセンサスを得なければなりません。


なるほど・・・。

しかし、なあんだ!そんなことだけなんだ!と安心しました。

そんなことだけなんですね。あとは同じか。

ここ一ヶ月間、真っ暗な中を歩かされている感じでした。これまで拾ってきたアイテムは何も役に立たないのかと、フロートしていましたが、この真っ暗な感じの原因がわかった感じでした。

正体がわかると、意外にたいしたことないやつだと気付くことはよくありますね。

自信持って進みなおせ。私は源だ。  

Posted by おれふ at 01:07TrackBack(72)創り手になる

2006年10月25日

市場との勝負の前に

東京に来て、新事業開発室という部署にいてます。新しい媒体を産み出すべく、企画を考えているところで、現在たったの4名の部署。

そして、今やろうとしていることは、うちの会社がずっとずっとやりたくてやりたくて、でもその市場の特殊性にこれまで手をつけられないでいた領域の仕事なのです。

当然、『これを手がけます』と社内で宣言すると、出るわ出るわ、非難、諦め、嘲笑、哀れみ、そして『成功しない』という信念、その他もろもろの感情(笑)。それも社内から(笑)。『登場すると非難される』を体感しています。

そうだよねー、今のうちの会社が持っている信念の枠組みから言ったら、当然の反応なので、笑ってしまいまいた。

競合他社の動向やマーケットと勝負する前にまずは社内。社内からしか始められませんな。これは。  

Posted by おれふ at 21:18Comments(0)TrackBack(0)創り手になる

2006年10月21日

『吸う』と『吐く』

昨日は宣伝会議の講座の日。

『新潮45』の編集長、中瀬ゆかりさんの『編集者・ライターの人脈力』についての話を聞くことができました。

とても印象的だったのは、彼女の『注意力』。私はかなり後ろの席に座っていたのですが、私が質問をしたときに、私への視線がまっすぐに強く私に届いて、その注意の濃密度に驚きました。味わい愛でるのとはちょっと違うのだけど、私の質問を面白がってくれているような、好奇心のこもった、もらったことのないシリアスドリルでした。とてもいい気分でした。

話の中で、私が一番大きな文字でノートにメモしたのは、『情報を取り入れて、人に話して外に出す』ということ。いい人がいたら、それをまた別の人に紹介すること。いいお店を見つけたら、人に教えること。情報を仕入れたら、人に話すこと。それはつまり、いつも淀みなく、情報に自分を通過させることだと理解しました。

『INHALE』と『EXHALE』。『吸う』と『吐く』という言葉を意識していた時期がありました。私は『INHALE』は得意なのですが、『EXHALE』が苦手だと感じています。私の中に何かを取り入れたとしても、それをうまく出すことができません。呼吸も情報も友人も持ち物も。

分かっているのです。『EXHALE』が大事なことは。

何にも考えていなくても、人間は、肺の中の空気を全部吐いてしまえば、次にはちゃんと吸うように出来ているのです。モノを捨てたら、次に自分に必要なモノがやってくる。人との別れがあると、次の出会いがやってくる。何かが訪れるのを待っているのではなくて、まず先に『EXHALE』。自分の中から出すことを心がけよと。  

Posted by おれふ at 22:10TrackBack(215)創り手になる

2006年10月19日

情報が怖い

4ヶ月前からうちにはテレビがありません。新聞も取るのをやめてしまいました。情報が怖かったのです。

情報が押し寄せてきて、これまでの信念とぶつかり合って、再構成されずにフロートする感じがすごく怖かったのですね。

昨日、私の中で静かに再構成されてゆきました。

知恵は知らないという無防備な状態に耐える勇気の積み重ねでできあがります。という言葉を思い出していました。  

Posted by おれふ at 08:33TrackBack(5)創り手になる

2006年07月09日

考え方を考える

昨日また江さんの講義がありました。

情報誌でない雑誌を考える、情報誌から『分節』できるものを考えるというかなり難しい課題でしたが、私の提出したものは、ずれてたなーと反省。

雑誌の一特集っていうのは一つの『考え』であるのに対して、雑誌自体のコンセプトはその『考え方』『捉え方』『切り取り方』という感じがしました。だから、江さんの言う、『考え方を考えろ』っていうのが、少し分かった感じがしました。

私のは一特集レベルでとまってたな、って感じ。

『考え方を考える』。むむむ、難しいです。  

Posted by おれふ at 17:11TrackBack(5)創り手になる

2006年06月22日

ハナコウエストVSミーツリージョナル

先々週の編集・ライター講座はマガジンハウスの『ハナコウエスト』編集長の吉村司氏と元京阪神エルマガジン社『ミーツリージョナル』前編集長の江弘毅氏。

この日はちょっと変則で、吉村さんの講義と課題講評があってから、二人の対談、そして、江さんの講座と続いた。

吉村さんの話は『ハナコウエスト』の雑誌作りの話ではなく、クライアントを見据えた広告の話。効果的な広告メディアとして、雑誌の生き残りをどう図るか、それの今のところの答えがタイアップ広告ということだと感じた。そしてどれだけメディアやリアルな場を巻き込んで立体的にプロモーションを仕掛けられるかといった内容だった。

タイアップ広告も、メディアミックスもリアルな場の創造も、これって私、結構今やってる。雑誌の世界では、慌ててWEB化しており、吉村さんは今後の展開を恐れている感じを受けましたが、一通り痛みを通り抜けた採用関連の業界ではもう当たり前のことやもんね。そこには、紙を守らなきゃ、という欲求とか、雑誌屋なんだから、という愛着とかがあると、かえって物事が曇ってしまってうまく見えない。一つの視点に固定してしまうと、別の視点から見えなくなってしまう。

それに対して、江さん。この人はそのまんまを受け止めていて、WEBも雑誌も書籍も、あるがままに存在させている感じがしました。最初は気難しそうという印象。でも話を始めると全然違ってました。最初は訥々と話していたのが、あるとき急に火がついて、子供のように楽しそうに興奮気味に話す様子からは、誠実に何かを伝えようとする意図が伝わってきました。吉村さんとの対談は、結果的に、『関西人という感性』についてということが主なテーマになってましたね。

江さんの講義は、かなり入念にレジュメが準備されていました。あらゆる方面から『言葉』についての分析があり、文章を書く、伝えるということを、言語学的、科学的な文献から考察された内容で、『言葉』を誠実に考え、考え抜かれていました。江さんの思考の深さに驚きました。

この二人の人物の差が『ハナコウエスト』と『ミーツリージョナル』の差であると目の当たりにしました。  

Posted by おれふ at 00:56TrackBack(73)創り手になる